みんな何がそんなに楽しいの?
外出すると当たり前だが人とすれ違う。
老若男女問わずに。
コンビニに入っても同じように多種多様の人がいて、
それはどこでも同じ。喫茶店に入ろうが居酒屋に行こうが、ショッピングモールに出向こうが電機店や飲食店、オフィスビル、駅…
どこに行くにしても人が居て、それはそれは良くも悪くも人が居る。
素敵な事でもある。
皆んな何だか楽しそう。それに関しては本当に良い事だと思う。
でも、、皆んな何故そんなに楽しそうなの?一体全体何がそんなに楽しいの?
自分に置き換えてみて考えても全くわからない。
幼少期に比べ最近は特に、楽しいと思える事がなくなって久しい。
ふとした時にこの想いに頭がいっぱいになって、時間が過ぎる。答えのない自問をただひたすらに逡巡する。
自分と同じように思う人はどれくらいいるのだろうか。
どうしたら、皆んなと同じように楽しく、
もしくは楽しく過ごそうと思えるんだろうか。
無理矢理にでも意識をその方へ持っていけばいつのまにか、はたからみて自分も楽しそうに過ごしてるように映るんだろうか。
街の中にいるとよく笑い声を耳にする。
その声の一団を羨ましく思う。
別に自分はその声の一団を嘲笑ってるわけでも、馬鹿にしてるわけでもない。本当に純粋に羨ましく思う。
1秒、1分、1時間、1日、少しずつ時間は流動して、過ぎ去る、命の時間が削られていくのに、、どうにかして早く皆んなと同じように楽しく過ごしたい。
どうしてあんなに楽しそうなのか。。
20歳くらいからそうだった
皆んなが楽しそうに過ごしてるのが疑問に思うようになった。
少しだけ考えてみた。
楽しいと思える事にも沸点があるのだろうかと。
例えばお笑い番組を見て、自分はあまり面白くない部分でも、他の人はその場面に、笑う。
笑いの沸点が低ければ低い程些細な事で笑顔に、笑う。
それと同じで
楽しい事の沸点が低いと些細な事でも楽しいと思うのだろうか。
ならば自分は笑いも、楽しい事も沸点が高いのだろうか。
…自分もみんなのようになりたい…
もしそうなら、沸点を低くする方法は何だろう?
とにかく沸点を低くする事を無理矢理にでも努めてみる事なのだろうか。
とある昔、考えさせるCMがあった。
その一文はこうだ。
『人は楽しいから笑うんじゃない、
笑うから楽しいんだ。』
その時はハッとさせられた。なるほど、とにかく笑っていろ、と言われた気がした。そうしたら、楽しくなるからと。
確かにそれも一理あるかもしれない。
まずは、笑う事からだ。 それから色々、付いてくるのかな。
いつものように人が少ない公園のベンチに座り、見つからない答えを無意識に考えてしまって、
お尻が痛くなったのを合図に帰路にたつ。
やっぱり
まだまだわからない事ばかり。 だからこそ、わかってみたいものだ。
だからこそ、誰かと話をしてみたいものだ。
そして、
とにかく笑えれば、最後に笑えれば。(ウルフルズの一節より)